On the Road

スピリチュアル妄想録
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◇「外交」 細谷雄一 続

それにしてもこの人の文章は、若いのに品格があってよい。
直接は師事していないようだが、高坂正堯を思わせるものを持ている。頑張って欲しいものだ。

メモの続き

・欧州では常駐大使の設置が15世紀から確立し、各国で外務省が設立されるのは17世紀以降であったが、日本はまず外務省が設立され、海外へ駐在公使を送るようになった。(p。89)

・ソ連と米国が同時期に標榜した「新外交」とは定義は曖昧であるが、一言で言えば外交の民主化。民主主義のイデオロギーによる外交のイデオロギー化であり、権謀術数の渦巻く国際政治を否定。会議外交や国際組織によって公開の討議により紛争解決することを目指す。結果、それまで自立的で排他的に外交を動かしてきた職業外交官の権限は浸食される。外交は一般の人々の感情や情緒に左右され、政治家や外交官はより攻撃的で排外的な外交を夫kなう必要を生じ、外交官同士による妥協は困難に。(pp102~105)

・トクヴィルは民主政治が外交に数々の障害、非効率性をもたらすことを予言し、外交においては貴族性こそが適していると論じた。(旧外交の擁護)(p。106)

・ニコルソンは、素人が世論の前で交渉を行う危険性を指摘し、「外交交渉」は職業外交官の手にゆだね、民主主義が関与する領域を「外交政策」の立案過程にのみ閉じこめようとした。 (p.119)

・第一次世界大戦後のパリ講和会議以降、外交言語がフランス語から英語になった。

新渡戸稲造は国際連盟事務局の事務次長に就任。

・1930~40年代日本の「アジア主義」とドイツの「ナチズム」が特徴とするプロパガンダ、大衆動員、ナショナリズム、人種主義などの動きは「新外交」から派生したものであるが、「新外交」が当初理想としていた世界観を踏みにじるものでもあった。アメリカも国際連盟に加盟しないなど「新外交」から後退し、パリ講和会議の結果として、「新外交」の世界が作っていた安定的で調和的な世界は崩壊したが、「新外交」が理想とした世界が作られることはなかった。(p。137)

・ジョージ・ケナンとハンス・モーゲンソーは米ソ両大国の冷戦期の外交の軽視を批判し、米国が外交を重視してより高い水準の外交を行うよう提言した。ケナンは外交の法律家的・道徳家的アプローチを批判し、モーゲンソーは十字軍的精神を批判した。(pp150-152)

・冷戦後の日本の外交的挫折の理由:①二国間外交が主の「旧外交」の時代に国際社会に参画しその外交方法を学んだ日本は新しい会議外交や多国間外交に適応できる理論や制度を十分に導入してこなかった。湾岸戦争は、典型的な多国間外交の舞台であった。日本は多国間外交に敗北した。②アーネスト・サトウが「非文明的な諸国」に対し武力を行使することはやむを得ないと考えたように、冷戦後はボスニア、ルワンダ、コソボダルフールの問題のように、軍事力を背景としたが移行を求められる場合が多い。日本はその十分な準備を行ってきた。③パブリック・ディプロマシーの欠如、④それぞれの地域への文明論的な関与の欠如。普遍的な思考だけで外交を行えば自ずと限界や挫折を経験する。(pp193-197)
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