On the Road

スピリチュアル妄想録
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野垂れ死に (新潮新書)野垂れ死に (新潮新書)
(2005/04/15)
藤沢 秀行

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私も今のように碁を打つようになる前は、おもに将棋の米長邦雄の著書で藤沢秀行の豪放さについては、聞いていた。
最近なくなってしまって、テレビでもいくつか彼についての放送があったが、やはり一番強烈なエピソードは、死ぬ前に残した「強烈な努力」という書。この言葉があるから今から日本の碁界は中韓を追い上げるようになるのではと思わせるほどの言葉だ。

こういう豪放磊落と思われている人が「強烈な努力」という言葉を最後に残した。
http://www.google.com/search?q=%E5%BC%B7%E7%83%88%E3%81%AA%E5%8A%AA%E5%8A%9B&rls=p,com.microsoft:ja-JP:IE-SearchBox&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sourceid=ie7&rlz=1I7SUNA_en

その重みは棋士ではない
人にも大きなインパクトを与えるだろう。
一流の人はみんな強烈な努力をしているのだ。(ちなみにあの矢沢栄吉もNHK「songs」内の若者への人生相談で、「矢沢は真面目な人です。(略)真面目に物事に取り組むことは昔からかわってない」というようなことを言っていた。)

愛弟子、高尾9段の藤沢秀行死去のときのブログも興味いぶかい。こういう師弟関係は好き。
http://blog.goo.ne.jp/s-takao-san/d/20090509
http://blog.goo.ne.jp/s-takao-san/d/20090511

以下はこの本のメモ。

・私ほど碁の勉強に打ち込んだものはいない。四六時中碁のことを考えて、何をやってるときもいつも頭は碁盤に占領されている。朝抜けに石を握って、気がついたら日が暮れていたこともある。夏はパンツ一丁で汗だくになって碁盤に向かっていた。石を持つ右手人差し指はぺらぺらになったり変形したりした。

・今の若手で特に楽しみにしているのは結城聡。恐らく今日本で一番強いのではないか。

・中韓の棋士も多く育て、入院していたときは、彼らが心配して高価な漢方薬や朝鮮人参を送ってくれた。

・碁の名人の名は織田信長がつけた。

・本宅の3人の子とは別に息子3人、娘一人がいる。何年も家に帰らないこともあった。


ウィキペディアより

引用

盤上での活躍の一方、盤外では酒、ギャンブル、借金、女性関係など破天荒な生活でも有名。癌の手術以前はアルコール依存症の禁断症状と戦いながらの対局を重ねていた。こうした「最後の無頼派」とでも称すべき藤沢の人柄を愛する者は多く、政財界に多くの支持者を抱えるほか、日中韓の若手棋士からも非常に尊敬されている。
女性関係も派手で、愛人の家に入り浸って自宅に3年もの間帰らなかったこともあった。用事ができて帰らなければならなくなった際、自宅への行き方がわからず妻を電話で呼び出して案内させたという。
酔っぱらったら女性器の俗称を連呼する悪癖があり、小平と面会した際、あろうことかベロンベロンに酔っぱらっており「中国語ではおまんこのことを何というのだ」と執拗に絡み、面会は途中で中止となった。
また、開高健のエッセイ『開口閉口』に出てくる、「門口で『やい、クロ饅子、でてこい!』と叫ぶ『疾風怒濤のロマン派』」とは藤沢の事である。
競輪が好きで、後楽園競輪で250万円を取り、それを花月園競輪で480万円にしたこともある。亡くなる前年には競輪場で転倒して骨折している。
競輪で250万円の車券を1点買いしたが惜しくも外れ、競輪場で観戦していたときに金網を強く握りすぎて菱形にひしゃげてしまい、「秀行引き寄せの金網」としてその競輪場の名所になった[1]。
米長邦雄の妻が藤沢の妻を訪ね、米長の妻が「うちの主人は週に5日帰ってこないのですが」と藤沢の妻に相談したところ、藤沢の妻は「うちは3年、帰りませんでした」と答えた[1]。

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