On the Road

スピリチュアル妄想録
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誕生 国産スパイ衛星  独自情報網と日米同盟誕生 国産スパイ衛星 独自情報網と日米同盟
(2005/05/21)
春原 剛

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著者は日経の記者。外交・安全保障分野ガ専門。
テーマは面白いんだけど、文章か構成かに問題あり、読みづらい。

以下メモ。

・98年のテポドン以来政府は自前の情報衛星の導入を検討。

・90年代後半、外務省や自民党の一部がスパイ衛星の導入を模索していたとき民で協力したのはNEC.しかし、防衛庁不正納入事件で叩かれ、三菱電気が受注。

・三菱は軍艦・戦車、東芝は船舶、NECは電子技術。これらが協力して始めて国産化は可能との考えがあった。

・米国はCIAなどの高度の機密情報をサードパーティルールを利用して、外務省、防衛省、警察庁など相手に応じて配布を分けたり、時間差をおいたりし、各省庁のライバル意識を利用。おーるじゃぱんでの対応できず。

・官邸に党人派の野中と鈴木宗男がいたから、米国を気にせず国産化を進めれたとの証言。

・衛星情報の前から、防衛庁は、全国6箇所に「象の檻」を設置するなど信号情報、通信情報の収集・分析体制はもっていたため、外務省、警察庁が主導するスパイ衛星に最初は後ろ向き。

・宇宙の平和利用原則からくる、機能の一般化原則。特定の科学技術が発達浸透し、その利用が一般化していれば、自衛隊による利用も可能。一般化を推進のために、災害対策、沿岸監視など多機能な衛星に。

・一般化をすすめれば、内外無差別を歌った政府調達にしたがい、公開入札をして国産化ができない可能性。FSX紛争の際に人工衛星の内外無差別調達が楔として打ち込まれた。

・危機管理衛星とすることで、宇宙の平和利用、内外無差別のガイドラインすり抜けを達成。

・結局、米国技術を全体費用の1-2割入れる準国産衛星に。
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たそがれゆく日米同盟―ニッポンFSXを撃て (新潮文庫)たそがれゆく日米同盟―ニッポンFSXを撃て (新潮文庫)
(2006/06)
手嶋 龍一

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1991年日本の敗北もそうだけど、この本を見てあらためて著者の取材力・文章力に感銘を受けた。
最近ウルトラダラーのような、若干トンデモがはいった政治的な小説の方向に行ってしまっているのが惜しい。まあ、あれもエンターテイメントとしては面白いのだけど。


・日米相互防衛援助協定にもとづいた対米武器技術供与取り決め。この取り決め下での日本からアメリカへ供与された技術の余りの少なさ。日本のハイテクはほとんど汎用品だから。F15にライセンス生産でブラックボックスになっている技術を日本企業が盗んできるのではとの疑念。

・三菱長崎造船所=海軍と共に歩み、武蔵の名前で知られる。三菱名古屋航空機製作所はゼロ戦で知られる。GHQの財閥解体で三菱重工グループは3社に分割。朝鮮戦争で、兵器・航空機の生産禁止令が解除され、ゼロ戦の技術者達は久しぶりに機体に触れた。ノックダウン方式からライセンス方式へ。
米国の戦闘機のFXにより、スリーダイヤの技術者達は知的含み資産を貯えていった。

・ライセンス生産では、戦闘機の組み立てには習熟できるが、独自のノウハウは育たない。

・半導体協定推進派は、通産省の機械・情報産業局と外務省の経済北米局。反対派は通産省の通商政策局と外務省の条約局。反対派は輸入の努力目標を入れるのは管理貿易として反対。推進派の隠された意図は、管理貿易と問う誠意派の絶ちがたい誘惑。半導体産業は当時群雄割拠。通産省はコントロールしたかった。

・米国議会内の日本の国産反対派と、ビル・ブラッドレー、アーミテージらの知日派。そして知日派を日本は傷つけた。

・東芝ココム事件の前科。潜水艦はトイレの音やしゃっくりの音なども聞き分ける。スクリュー音は音紋といわれ、小さければ小さいほど良い。東芝は偽装して輸出。

・日本型ゴーリストとしての石原慎太郎

・アメリカが過大な期待を寄せる軍事的リアリストには多くの隠れゴーリストがいる。永井陽之助の分析。
人を見抜く技術──20年間無敗、伝説の雀鬼の「人間観察力」 (講談社プラスアルファ新書)人を見抜く技術──20年間無敗、伝説の雀鬼の「人間観察力」 (講談社プラスアルファ新書)
(2009/01/21)
桜井 章一

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マージャンファンの中では雀鬼流として知られる人。結構本も書いているが初めて読んだ。
まあ、期待したほどでもなかった。

以下メモ。

・癖は人を表す。習慣から癖はデキ、習慣は環境からできる。だから癖はその人の日常を表す。

・正確を直すのは難しいので癖から直す。

・ミスを許さない社会・環境が人に行動を求めなくなり、ニートや引きこもりがふえた。

・テレビ画面である人のハイを見ているだけの部分視だと何も分からないが、その場にいれば全体視で全てが見える。

・上に立つ人間こそ譲りの精神が必要。

・子供をしかるよりは、物語を作って聞かせたりして修正してあげる。
野垂れ死に (新潮新書)野垂れ死に (新潮新書)
(2005/04/15)
藤沢 秀行

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私も今のように碁を打つようになる前は、おもに将棋の米長邦雄の著書で藤沢秀行の豪放さについては、聞いていた。
最近なくなってしまって、テレビでもいくつか彼についての放送があったが、やはり一番強烈なエピソードは、死ぬ前に残した「強烈な努力」という書。この言葉があるから今から日本の碁界は中韓を追い上げるようになるのではと思わせるほどの言葉だ。

こういう豪放磊落と思われている人が「強烈な努力」という言葉を最後に残した。
http://www.google.com/search?q=%E5%BC%B7%E7%83%88%E3%81%AA%E5%8A%AA%E5%8A%9B&rls=p,com.microsoft:ja-JP:IE-SearchBox&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sourceid=ie7&rlz=1I7SUNA_en

その重みは棋士ではない
人にも大きなインパクトを与えるだろう。
一流の人はみんな強烈な努力をしているのだ。(ちなみにあの矢沢栄吉もNHK「songs」内の若者への人生相談で、「矢沢は真面目な人です。(略)真面目に物事に取り組むことは昔からかわってない」というようなことを言っていた。)

愛弟子、高尾9段の藤沢秀行死去のときのブログも興味いぶかい。こういう師弟関係は好き。
http://blog.goo.ne.jp/s-takao-san/d/20090509
http://blog.goo.ne.jp/s-takao-san/d/20090511

以下はこの本のメモ。

・私ほど碁の勉強に打ち込んだものはいない。四六時中碁のことを考えて、何をやってるときもいつも頭は碁盤に占領されている。朝抜けに石を握って、気がついたら日が暮れていたこともある。夏はパンツ一丁で汗だくになって碁盤に向かっていた。石を持つ右手人差し指はぺらぺらになったり変形したりした。

・今の若手で特に楽しみにしているのは結城聡。恐らく今日本で一番強いのではないか。

・中韓の棋士も多く育て、入院していたときは、彼らが心配して高価な漢方薬や朝鮮人参を送ってくれた。

・碁の名人の名は織田信長がつけた。

・本宅の3人の子とは別に息子3人、娘一人がいる。何年も家に帰らないこともあった。


ウィキペディアより

引用

盤上での活躍の一方、盤外では酒、ギャンブル、借金、女性関係など破天荒な生活でも有名。癌の手術以前はアルコール依存症の禁断症状と戦いながらの対局を重ねていた。こうした「最後の無頼派」とでも称すべき藤沢の人柄を愛する者は多く、政財界に多くの支持者を抱えるほか、日中韓の若手棋士からも非常に尊敬されている。
女性関係も派手で、愛人の家に入り浸って自宅に3年もの間帰らなかったこともあった。用事ができて帰らなければならなくなった際、自宅への行き方がわからず妻を電話で呼び出して案内させたという。
酔っぱらったら女性器の俗称を連呼する悪癖があり、小平と面会した際、あろうことかベロンベロンに酔っぱらっており「中国語ではおまんこのことを何というのだ」と執拗に絡み、面会は途中で中止となった。
また、開高健のエッセイ『開口閉口』に出てくる、「門口で『やい、クロ饅子、でてこい!』と叫ぶ『疾風怒濤のロマン派』」とは藤沢の事である。
競輪が好きで、後楽園競輪で250万円を取り、それを花月園競輪で480万円にしたこともある。亡くなる前年には競輪場で転倒して骨折している。
競輪で250万円の車券を1点買いしたが惜しくも外れ、競輪場で観戦していたときに金網を強く握りすぎて菱形にひしゃげてしまい、「秀行引き寄せの金網」としてその競輪場の名所になった[1]。
米長邦雄の妻が藤沢の妻を訪ね、米長の妻が「うちの主人は週に5日帰ってこないのですが」と藤沢の妻に相談したところ、藤沢の妻は「うちは3年、帰りませんでした」と答えた[1]。

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