On the Road

スピリチュアル妄想録
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英文法の謎を解く (ちくま新書)英文法の謎を解く (ちくま新書)
(1995/08)
副島 隆彦

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ひさしぶりに、ここまでひどい本を読んだ。
同じ著者の「アポロの月着陸はなかったろう論」と同じくらいとんでも。
明快な文法を、独流の読み方により、さらに複雑にしてしまっている。
英語の勉強をする人、特に大学入試を控える高校生などは読まないほうが無難。
誰かがアマゾンのレビューに書いていたが、「謎を増やすな」というのはまさにその通り。
このシリーズを三冊も出したちくま新書にも猛省を求めたい。



「国際金融の現場」 榊原英資
国際金融の現場―市場資本主義の危機を超えて (PHP新書)国際金融の現場―市場資本主義の危機を超えて (PHP新書)
(1998/10)
榊原 英資

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ブックオフで100円だったので買ってみた。100円分の価値があったかはなはだ疑問。
96年に書かれているという点で価値が減っていることを差し引いても、まず、タイトルと中身が違いすぎ。
期待していた財務官としての経験などは全く語られず。
がっかり。
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ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)
(2008/07)
上杉 隆

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日本のジャーナリズムの惨状について。
最近上杉氏の記事の信憑性も色々と疑われているようだが。この点については、この本にも言及されている阿比留瑠比氏のブログより。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/

以下メモ。

・日本のジャーナリズムは米国の報道で言う通信社(ワイヤーサービス)の仕事をやっているにすぎない。

・NYTは2000年当時、33人の海外特派員、全ての記者合わせても300人。これは発生物などのストレートニュースをワイヤーサービスに依存しているから。日本の新聞社の記者は朝日・読売で数千人規模。

・ワイヤーサービスに依存の結果、分析・批評に記者は専念でき、記事に締め切りもないのでゆっくり取材できる。さらに、政治部・社会部などにカテゴリー分けされていないため、セクショナリズムがなく一人の記者が自由にいくつかのニュースを同時並行で追いかけるのが普通。

・NYTでは毎週、一週間分のあらゆる記事が検証され、良い記事と悪い記事の評価が本社から送付され、悪い記事は見本として添削されてさらし者にされる。

・記者クラブという既得権益によるサラリーマン化。発表どおりの情報垂れ流し。記者クラブ外の外国人記者、フリージャーナリストの締め出し。優秀な記者ほど独自の情報で記事を書いて記者クラブから締め出される。 

NHK記者の3割が政治家等のコネ入社。
マスコミはテレビ、広告代理店党含め全般的にコネ入社が多いらしい。

・日本の記事の匿名性にほとんどの外国人特派員が驚き、信頼性をなくし、同じジャーナリズムとは感じていない。日本の記者は外国の記者から笑われている。

NHK海老沢元会長の天皇ぶりとNHK職員のは偉そうな対応。

・ジャニー喜多川氏の未成年少年への猥褻行為について報道できない日本のメディア
→稲垣メンバー

・誤報を認めない日本の新聞。積極的に認め、何故間違えたかを詳細に検討し訂正する米国の新聞。




外交の力外交の力
(2009/01)
田中 均

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マスコミ等に散々叩かれた外交官が書いた本。
売国奴とかチャイナスクールと彼の名前で検索したら色々出てくるが、田中氏を売国奴と思っていた人こそこの本を読むと良い。いかにマスコミや自称知識人が単眼的なものの見方をしているか、それを鵜呑みにすることがいかに危険かということがよく分かる。

・外交官の仕事の本質は内省的。思ったことをすぐに口に出す社交性よりも、交渉の場では綿密に戦略をたて、よく考えた上で言葉を発する。

・オックスフォードでの留学の二年間がなければ、外交官としてやってきた仕事の半分はできなかった。英国流の物の考え方、考え方の徹底したトレーニング。「物事をクリティカル(批判的)に見る。多面的にいろいろな角度から物事を見る」というアプローチ。

・それでも英語力については非常に後悔。

・輸銀を外交のツールとして活用。

・米国と経済協議をするとき、日本の主張を並べ立てると、他の省庁からの信頼を得られ、譲歩が必要なときに国内で動きやすくなった。

・首相用資料作成や記録作成、事務次官との関係をてこに省内の政策調整を進めた。

・日本が北朝鮮と水面下で話し合っていることはブッシュ政権は知っていた。02年9月17日のコイズミ訪朝前の8月末に米国に通報。アメリカ国務省内で北朝鮮との対話に理解のあった人々には強い不満はなかった。

・小泉訪朝にいたる交渉の中で常に考えていたのは、同盟国である米国の利益を損なってはならないこと。難しかったのはどこまで交渉の内容をアメリカに伝えるのかということ。

・EPAをすすめたが、日本の閉鎖的な市場を開くために、産官学の研究会をつくりで望ましい枠組みを議論させた。

・ドイツは連邦軍のnato域外派遣を禁じてきたが、94年憲法裁判所の判断で可能とした。安保理決議がなくても独自判断で、人道防護のために派遣できる。

・先に能動的に動く方が、リスクは伴うが、低いコストで国益を達成できる。逆の例が湾岸戦争。

・G20は有益な枠組みであるが、G8を代替するものであってはならない。世界秩序を維持する上で、高い規律を有する先進民主主義諸国の協議体制は強化されるべき。同心円的にG8の外側に新興国を取り組んでいく。

・課題は安保政策と東アジア政策

・90年代に入るまで、政治プロセスの支持を得て行政府が外交を行うのは容易。総理大臣の指示を与党が支えた。自民党の三役や派閥の長が了承していれば党の取りまとめは容易。90年代から、00年代にこの図式は変わり、強力なリーダーシップがない限り、おも一北外交政策の追求は難しくなった。


第五章 日本近代文学の奇跡
漱石は、英語や英国がきらいだったらしい。また、執筆の合間に漢詩を作って精神の均衡を保っていた。彼の文明評も紹介されているが面白い。読んでみたい。

第六章 インターネット時代の英語と「国語」
・文学の終わりを憂える背景。
①科学の急速な進歩:人間とは何かという根源的問いに答えるのに、小説を読むよりDNAなどの最新の科学の発見を知ることのほうが意味がある。②文化商品の多様化:CD、DVD、youtube、映画、連ドラ
③大量消費社会の実現:文学価値よりも流通価値。マリアカラスの歌もマドンナの歌も同じ値段で手に入る。

・グーグルなどがすすめる大図書館。シュメールの粘土板から現在までの全ての史料は、完璧にデジタル化すれば50ぺタバイト(ペタバイトは2の50乗)に圧縮できる。

・英語の図書館だけが巨大化。

・アメリカの大学の他を圧倒する突出ぶり。インターネットの発達によりこのような一極集中とは反対の動きが強まるが、各地で英語の教育が行われるようになる。(日本の大学院でも授業は英語化)

・自然科学は既に英語に一極化されているが社会科学、人文科学にも広がり始めている。

・英語が普遍語となったのが目に見える形となる前から、日本の文学は内側から一人で幼稚なものとなっていった。英知を求める人であればあるほど日本語で書かれた文学だけは読まなくなってきている。現在の日本文学は昔で言えば女子どものものであり、かつては日本文学が高みに達したことがあったのを忘れさせるもの。

・近代に入り、日本語は西洋語からの翻訳が可能な言葉に変化していく必然性があった。ところが西洋語はそのような変化を遂げる必然性はなかった。西洋語に訳された日本文学を読んでいてそのよしあしが分かることなどほとんど有り得ない。分かるのはあらすじの妙であり、あらすじの妙は文学を文学足らしめる要素の一つでしかない。漱石の文章が上手く西洋語に訳されない事実一つでそれは示されている。
→同感。世界でも有数の文学の質と量を誇る日本文学を日本語で味わえることがいかに贅沢なことか。あと、グレングールドは漱石の草枕が大好きだったらしい。


第七章 英語教育と日本語教育
・国策として少数の選ばれた人=優れたバイリンガルを育てるしかない。

・河合はやおの「日本語を大事にするから外国語を学ばない、日本文化が大切だから外国文化を退けるというのはゼロサム的な誤り。」というのは、もっともだが、プラスサムの結果を引き出すのは容易ではない。

・日本人は何よりもまず日本語ができるようになるべきである。日本語を実に粗末に扱ってきた。

・書き言葉は話し言葉の音を書き表したものという言語観(表音主義)は誤り。言文一致体は、指示機能を優先させた西洋語からの翻訳が可能な書き言葉であり、話し言葉とは違う。

・福田恒存の「私の国語教室」が出るまで、幹事を排除する表音主義が大きな勢力となっていた。韓国も北朝鮮も漢字をほとんど捨てた。いわば仮名文字論者の立場をとった。ベトナム人はローマ字に変えた。

・漢字を残したことの代償として、表音主義者は、伝統的仮名遣いを表音式仮名遣いに改めた。「私の国語教室」にはいかに表意式仮名遣いが語意識への感覚を鈍らせてしまったかが書いてある。

・表音主義を中心にすえた戦後教育は、話し言葉と書き言葉を同じものにすれば誰でも文章を書けるようになる。という「善意」から生まれたもの。だが文化とはそういうものではない。国民全体を各主体にすることが教育の理想ではなく、読まれるべき言葉を読む国民を育てることを目標と設定すべきだった。読まれるべき言葉を読み次ぐのを教えないことは、究極的には文化の否定というイデオロギーにつながる。中国の文化大革命、カンボジアの読書人虐殺。

・日本語は表記法を使い分けることが意味にも関わる。荻原作太郎のフランスに行きたいという詩も、口語体にすればJRの広告以下。

・日本人は文化は何もしなくても維持されると思っている。そう思っているうちに、建築に関する基準が安全基準以外にないまま、ばらばらな高さ、色、形をしたビルと安普請のマンション、理不尽に交差する高架線、人が通らない歩道橋などの醜い空間ができあがった。
→全くの同感。

・日本の国語教育は近代文学を読み次がせることに主眼を置くべき。
1つに、それが出版後が確立されたときの文章だから。そうした規範性の持った出版語があれば話し言葉も安定する。
二つに、漱石が言う曲折から生まれた文学だから。西洋の衝撃を受けた日本の現実についてかたるために日本語の古層を掘り返し、日本語がもつあらゆる可能性を探りながら花開いてきた。日本語が日本近代文学を読む習慣がつけば近代以前の日本語にも通じる。
3つ目に、近代文学が生まれたときは、日本語が四方の気運を一気に集め、もっとも気概もあれば才能もある人たちが文学を書いていたときだから。この先日本が20世紀に持ったほどの世界的な意味を持つことは二度と有り得ない。

・かくも面白く、かくも高みに達した日本語を現地語になりさげることは人類の文化そのものが貧しくなってしまうこと。
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