On the Road

スピリチュアル妄想録
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日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
(2008/11/05)
水村 美苗

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今月号の中央公論とかユリイカで特集されたり、梅田望夫ほかに絶賛されるなど、話題になっている本。
面白くよめた。そして日本語がいとおしくなった。
日本語を大事にしたい。

あとは、水村さんの小説もよみたくなった。どれもアマゾンで評価高いけど、まずは「本格小説」かな。
本格小説〈上〉 (新潮文庫)本格小説〈上〉 (新潮文庫)
(2005/11)
水村 美苗

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あとは、日本の「近代文学」も読みたくなった。
とくに夏目漱石。高校時代に読んだ三四郎の引用がけっこうあって懐かしくなった。
多分高校時代とは受ける印象も変わってるんだろうなと思う。

以下メモ。

第一章 アイオワの青い空の下で<自分たちの言葉>で書く人々
いきなり、アイオワでの文学者の合宿めいたワークショップの話から。
文章が上手で引き込まれる。
いかに世界中の文学者がそれぞれの言葉で書いてるか。

・言葉に有史以来の二つの異変。一つは名も知れぬ言葉が大変な勢いで絶滅してること。
6千くらいの言葉の8割以上が今世紀末までに絶滅といわれている。
2つは、英語が「普遍語」となりつつあること。


第二章 パリでの話
パリでの筆者の講演が中心

・戦後、志賀直哉がフランス語を国語にと提唱した。
→これは有名

・1868年を境に、日本人は西洋に流れる時間と日本に流れる時間の二つの時間を同時に生きるようになった。

・どのような文学が英語に翻訳されるかは、主題・言葉の使い方も英語に翻訳されやすいものが自然に選ばれる。すなわち英語の世界観を強化するようなものばかりが選ばれる。
結果、英語という言葉で理解できる真実のみが唯一の真実となる。この解釈法が、ノーベル賞も可能にする。


第三章 地球のあちこちで<外の言葉>で書いていた人々
ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」を基礎にした、国語、書き言葉の考察。「普遍語」、「書き言葉」、「出版後」、「現地語」、「国語」、「聖なる言語」、「母語」、「外の言葉」、「自分たちの言葉」など言葉に関する多くのタームが上手く整理されず出てきて読みづらい。
また、「想像の共同体」は昔読んだが、日本のような島国で近代以前から国家というものが想像であれ意識されていた国には当てはまらないような気がする。インドネシアとかヨーロッパには適用可能かもしれないが。

・資本主義の発達を基礎に、グーテンベルク印刷機の登場で、国語が成立。

・ヨーロッパで数多くあった口語俗語が、英語、フランス語、ドイツ語など重要な出版語として収斂。

・書き言葉と話し言葉の本質的違い。書き言葉は残すことができ、人類の英知を蓄積し広めることができる。書き言葉は普遍語であり、ほとんど例外なく、外から伝来したものである。あたり一帯を覆う古くからある文明から伝来するもの。

・国語とは、現地語でしかなかった言葉が、翻訳(書き言葉=普遍語の)という行為を通じ普遍語と同じレベルで機能するようになったもの。翻訳によって、現地語が書き言葉へと変換される。

・ヨーロッパが国語の時代に入って大きく変わったのは、人々が自分たちの言葉で書くようになったこと。それまでの知識人はラテン語という外の言葉をよみ、外の言葉で書いていた。

・国語は普遍語と同じように機能しながら、最初に習得する母語のもつ長所を徹頭徹尾生かしきれることのできる言葉。内なる魂を生き生きと魅力的に描くことができる。
 

第四章 日本語という「国語」の誕生
一番面白い章だった。いかに日本語が滅びなかったことが奇跡的なことなのか。

・日本語が明治維新後はやばやと国語となりえた条件。①書き言葉が、漢文圏の中の現地語でしかなかったにもかかわらず、文字生活の中で高い位置を占め、成熟していたこと。②印刷資本主義が既に存在し、書き言葉が広く流通していたこと。③日本が植民地にならなかったこと。

・漢字はアルファベットと違い、表意文字。声に出すことよりも目で読むことを重視。すなわち、漢文という普遍語が外の言葉であったのは何も日本列島の人にとってのみでなく、中国大陸の一人取っても、耳で聞いて理解できる言葉ではなかった。そもそも中国の話し言葉自体、地方ごとに別の言葉であるように違う。

・漢文を学んだ日本人は最初はそのままの語順で読んでいたが、奈良時代の途中から自分たちの言葉として読むになった。いわゆる漢文訓読。

・ところが、助詞や語尾を書き添えるとしても、その日本語の音をあらわす文字を持っておらず、漢字を表音文字として扱った。真仮名。万葉仮名。

・最初はカタカナは漢文の横に小さく挿入されているだけであったが、徐々に漢字と同じ大きさになっていく。次第には漢字の列にそのままつらなり、「漢字カタカナ交じり文」という文体を生む。

・平仮名は現地語を象徴する文字となった。やまと言葉で読む和歌に使われるようになた。やまと言葉の文芸は、漢文訓読に親しんだ人が漢文との緊張感の中で自分たちの言葉を発見していく過程のうちに生まれた文芸。

・明治時代まで漢文は権威をもち、初めて漢字カタカナ交じり文で発布された公文書は五箇条のご誓文。元禄時代の芭蕉や西鶴は国語イデオロギーが輸入された後に国文学史観によるもので、当時は伊等仁斎や荻生徂徠が漢文で書いたものの方が権威を持っていた。

・中国の科挙制度はいかに漢文を究めるかというもの優秀な人材が漢文化の奥へと吸い込まれた。朝鮮とベトナムはそれを取り入れたが、日本は結局取り入れなかった。結果、頭脳明晰な男たちが漢文の優秀な使い手となるために熾烈な競争を繰り広げる必要はなく、自然に現地語で読み書きするようになった。

→中国の官僚と北京語は英語でともにマンダリンというが、そういう理由?

・平安時代や鎌倉前期のいくつかの書物は漢字カタカナ交じり文。鎌倉後期の徒然草は漢字平仮名交じり文。江戸後期読み本はすべてそう。本居宣長などの国学者も平仮名文で学問しようとする。かれらはやまと言葉が普遍語である漢文以上に知的、倫理的、美的な重荷を負う言葉と主張。

・ヨーロッパ語の様々な現地語で文学がかかれるようになたのは12世紀。有名な作者が出てくるのは、ルネッサンス後。日本の文学は優れて早くから成熟。

・江戸時代の末には日本は学校だらけの国といっていいほど、教育が広がり、世界一の識字率の高さ。明治5年に出版された「学問のすすめ」は13年には70万部売れた。

・森有礼や文部省は国語イデオロギーに従い、漢字と言う外の言葉を排除するの理念と師、表意文字を排除することを理念とした。列強がローマ字アルファベットをみな使っていたことから、表音文字よりも表意文字は遅れたものとみなされた。

・そのような理念が実現しなかったのは、そのような理念が打ち立てられる前に、西洋画から日本語への翻訳が独立のため急務であったため(万国公法はもっとも早く翻訳された本の一つ)。表意語であり、概念を表す抽象性と無限の造語力を持つ漢字は翻訳に便利。
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エコノミストは信用できるか (文春新書)エコノミストは信用できるか (文春新書)
(2003/11/20)
東谷 暁

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今回の金融危機とともに、経済学で新自由主義への反省とケインズの復権という大きな転換が押し寄せてきているが、節操のない、経済学者、エコノミスト、新聞って何なのと思ったので読んでみた。

一番経済学界隈の人々を見ていて長らく疑問を持っていたのは、人の議論をトンデモとかいいつつ、けなしまくる人々が存在すること。ちゃんとした教科書があるのであれば、そんなこと起こりうるはずがないと思うのだが、例えば野口旭とかいう先生は教科書理解が足りないということで相手を罵倒する。罵倒されている人は本当にバカなのかと彼の本を読みつつ半信半疑ながらも昔は信じていたのだが、どうやらそういうもんでもない、つまり正当な経済学というものは色々存在して、野口旭が拠って立つ「正当な経済学」っていうのは一つの宗教の中の宗派みたいなもので、解釈の違いからいろいろお互いに喧嘩しあっているということがなんとなく分かってきた。

そんなのを教え込まれる経済学部の学生というのはなんとかわいそうなんだろう。別に経済学に限らず社会科学にも人文科学にも、理系の学問にも多かれ少なかれ言えることだが。

でも、このブログで紹介した竹森俊平の本とかそれなりに経済学的な現状把握が意味をなしていると思うので、無駄なことではないんだろう。

ただ、最近感じるのは、マクロ経済学(たまにどマクロともバカにされるが)だけやってても、変な議論になっちゃうよねということ。特に金融の話になってくると、実務がどう動いているかとか、少なくともミクロ経済の基礎付けが必要だと思う。そういう点から言っても、前も書いたけど国際金融の実務に沿ったちゃんとしたテキストが存在しないので、勉強すらできないから黒木亮とかの本を読むしかない。あるひとから、学生時代に経済学は知らなくてもいいけど経済はよく知っておけといわれたが、最近それを実感している。

余談1:ながらく疑問なのは経常収支とISバランスの話。この辺も野口旭が昔単純な理解を振りかざして人を罵倒していたが、事後的な恒等式と資本収支=経常収支(外貨準備は資本収支に含むとして)の因果関係がうまく説明できていないと感じていたら、実際その辺りは経済学者でもよく答えが出ていないで論争がある所っぽい。(この辺はまたいずれ書こうと思うが。)

余談2;リチャード・クーという人はさんざん一昔前はバカにされていたけど、金融危機後と麻生政権の成立後は復権したっぽいとおもっていたら、また最近は何となく見なくなった。この人の評価ってやっぱり誰が見てもおかしいのだろうか。それなりに面白いこといっているのではと、今のご時世では思ってしまうのだが。前々号くらいのフォーリン・アフェアーズの書評にも載っていたし。まあ、彼を批判する人たちは、絶対フォーリン・アフェアーズに名前を載せるようなことはできないだろう。(もっともフォーリン・アフェアーズは外交政策を論じる雑誌で経済を専門とはしていないが。あとその書評でもクー氏の意見に反対する人も多いだろうがというような留保がついていたと記憶)

余談3:インフレターゲットというのは大昔クルーグマンの本を読んで理論的には面白いなと思った。でも、グリーンスパンの自伝を読んでから金融政策の難しさ・恐さというものを感じ取り、そのような政策は安易に支持するべきではないと思うようになった。あとは、リフレ派と呼ばれる人が、結構相手を罵倒する人が多く、それもちょいと気持ち悪いなと思ってしまうところ。


書評からは全く外れたが、東谷氏のこの本は、エコノミストも色んなこといっていて信じるに足りないやつらだと示してくれたことで、私の以上のような最近の考えを補強してくれた。
単なる記録だけど、最近読んだ本

なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか―信用バブルという怪物なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか―信用バブルという怪物
(2008/07)
チャールズ・R. モリス

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集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス)集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス)
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困ったときの情報整理 (文春新書)困ったときの情報整理 (文春新書)
(2001/07)
東谷 暁

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・本屋は立ち読みするだけで相当の情報収集ができる。

・海外の新聞は見出しだけ読む。

・野中郁次郎「知識想像の経営」:欧米型は形式地の相互作用を個人レベルで行い、日本型は暗黙地・形式地の相互作用を社会的過程・とりわけ集団レベルで追い行う。
・野中・竹内弘高共著「知識創造企業」:世界的なナレッジマネジメントのブームを起こす

・KJ法、京大式カード


資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす
(2008/09)
竹森 俊平

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「世界を変えた金融危機」が面白かったし、最近の金融危機に関する解説記事もさえているので注目している経済学者。
本書も去年の何かのランキングで一位だったらしく、期待して読んだが、期待通りの素晴らしさ。

中身は結構硬派だけどちゃんと読めば理解できるようにはなっている。専門家の議論を分かりやすく説明するのはすごい。
あまりにも勉強になりすぎて珍しくメモを取ったが、ここに書くのは面倒なので、上手くまとめているサイトにリンク張ることで用足し。

http://d.hatena.ne.jp/econ2009/20080925/1222353278


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